オリンピックメダリスト。
2015年11月現在、未だ「日本人選手の五輪メダル獲得の最年少記録」である人を知っていますか??
目次
- 1ページ目
- 2ページ目
岩崎恭子さん。
一躍、時の人となりました。
今回は岩崎恭子さんの事を詳しく調べてみましたので、ぜひご覧ください。
- プロフィール
- 旦那と姉の現在について!
- 名言と写真集画像も!
プロフィール
名前 斎藤 恭子(旧姓:岩崎 恭子)
出身地 静岡県 沼津市
生年月日 1978年7月21日
学歴 日本大学文理学部心理学科
身長 159cm
血液型 A型
お姉さんが水泳をしていたのがきっかけで5才から水泳を始めたそうです^^
兄弟の影響ってありますよね。
私は一人っ子なので自分のしたい習い事だけでしたけど、友人とかは兄弟揃って同じ習い事してる事が多かったなぁ‥。
そして何故だか2番目の子の方が頭角を現す事が多くて、「お兄ちゃんよりもうまい」「お姉ちゃんよりセンスある」だなんて言われて上の子は肩身の狭い思いをしている子が多かったように思います。
岩崎恭子さん姉妹もそのようですね。
1992年に開催されたバルセロナオリンピックへの出場権を巡り、ラスト1枠で姉妹対決をしたそうです。
周りはキャリアも実力もあるお姉さんが出場となるだろうと思っていましたが、なんと妹の恭子さんが出場権を獲得しちゃったのです。
岩崎さんはノーマークでバルセロナオリンピックの「競泳女子200m平泳ぎ」に出場。
なんと!なんと!!
金メダルを獲得したのです!!!
家族も周りも視聴者も、そして本人までもがビックリ仰天の快進撃^^
岩崎さんは最初の順位は下の方でしたが、持前の持久力でどんどん追い上げ、断トツの1位だったわけです☆
この「競泳女子200m平泳ぎ」での金メダル獲得は56年ぶり、史上2人目の快挙だそうです♪
14才と6日‥日本人選手でオリンピックメダル獲得の史上最年少記録でもあります。
とにもかくにも、世の中がかなり沸きました!!
それからは岩崎さんフィーバーでしたからね♪
もうそれはそれはすごい騒ぎでしたよ☆
周りはお祭騒ぎでしたが、当の本人‥岩崎さんや家族は大変だったみたいです。
メダリストは色んな事期待されるんですよね‥
「どの大会でもメダル獲れるだろう」
「次のオリンピックでもメダル!!」
家の前には報道陣や野次馬。
知らない人から電話がかかってきて「チヤホヤされて良い気になるな!」と言われた事もあったそうです。
家庭の中でも不協和音が流れていたようです。
そりゃそうですよね、お姉さんがオリンピックに選ばれるであろうと思っていたけど妹が選ばれ、おまけに妹は金メダリストになっちゃったわけです。
実際にお母さんは「お姉ちゃんがバルセロナオリンピック出場、恭子が次のアトランタオリンピック出場」と思っていたそうです。
このドンデン返し劇で沈んだ表情のお姉さんの手前、岩崎さんにおめでとう!!と言う言葉もかけにくいですし‥
家族も大変だったでしょうね。。。
誹謗中傷や、いつも誰かに見られていると言う感覚がまだ14才の岩崎さんには辛かったでしょう。
「金メダルなんて獲らなければ良かった」とまで思ったそうです。
家族は仕方無いにしても、どうして無関係の人は素直におめでとう!!と喜んであげられないんだろうって思いますよね。
海外は結構国レベルで応援して祝福する習性がありますけど、日本てそう言う所が卑屈っぽいですよね。
そう言う、私も日本人なんですけど、凄いものは凄い!!良くやったね!!でいいと思うんですけどね‥。
アンチってなんなんだろ(-_-)
周りの反応に、岩崎さんは引きこもりがちになってしまいメダルなんて獲ったらダメだと、練習しないで成績を落とそうとしたそうです。
1996年 アトランタオリンピック。
「14才のメダリスト」と期待を背負っての2度目のオリンピック出場となりましたが‥
「200m平泳ぎ」では10位。
「100m平泳ぎ」では予選落ち。
と、2大会連続のメダル獲得とはなりませんでした。
この成績は意図的な部分もあったのかも知れませんね。
華々しいメダリスト生活かと思いきや、岩崎さんは目立った成績を出さず
1998年 20才と言う若さで引退。
引退会見など開かず、ひっそりと競泳界から退きました。
14才の多感な時期に色んな大人に囲まれ、世間に注目され、騒がれ‥本当に身が重かったでしょうね。
思い起しながらこの記事を書いてますけど、辛かっただろうなって思います(T_T)
2002年 海外指導者研究生として留学。
競泳選手人生には幕を下ろしましたが、水泳は続けたかったんですね^^
現在は水泳指導者として、そしてイベントを中心にメディアやトークショーにも出演しています^^